先日、『勝負論 ウメハラの流儀』という本を読みました。
著者は梅原大吾さんという方で、あまりご存じないかもしれません。
実はプロゲーマーと呼ばれる方で、その名の通り、ビデオゲームをするプロとして活動されています。
ゲームと聞くと単なる娯楽と思われるかもしれません。
しかし、最近では「eスポーツ」と呼ばれる競技性を持ったスポーツの一種として認知度を高めており、オリンピックの候補にも挙げられています。
五感全てを駆使して対戦相手とコンマ何秒の駆け引きを行い、時には運に左右されてしまうeスポーツには、多くの観客を湧かせる魅力があります。
梅原さんについては私もこの本を読むまでは知らなかったのですが、弱冠17歳で世界チャンピオンになり、それから何十年とトップを走り続けている梅原さんは、現役でありながら既に世界的な伝説のプレーヤーとして知られています。
中でも、世界大会で一度たりともミスができない状況下で大逆転を起こした「背水の逆転劇」と呼ばれる試合が有名です。(音量注意)
そんな梅原さんが書いた本の帯には「勝ち続けるために考えたこと」と記されています。
その名の通り、勝負において勝ち続けることの重要性が書かれているビジネス書です。
ですが、単に相手に勝つこと、負けないことを指しているわけではありません。
梅原さんはこう言います。
他人に勝つことではなく、成長することが勝利である(中略)誰に何と言われようと自分が成長し続けていて、右肩上がりでいることを信じられるかどうかもまた、大切な能力だ(中略)勝ち続けるとは、「頑張ることにためらいを持たない」ことでもある。(中略)不器用でもいいから、自分の好きな、進みたい道を進んでほしい。 引用元:梅原大吾『勝負論 ウメハラの流儀』
つまり、勝負とは他人ではなく、過去の自分との戦いだということなのです。
「失敗は成功のもと」というように、負けることや失敗することは決してネガティブなものではなく、自分自身を成長させてくれる教えでもあるのです。
そして、頑張ることをためらいを持たず、がむしゃらに取り組むことを勧めています。
この文章を読んで、私は「仏向上」という仏教の境涯を思い出しました。
そもそも仏道修行では「仏」という理想を目指して励みます。
しかし、「仏向上」という言葉には、仏という到達点にすら囚われることなく、ただひたすらに修行に励み、結果的に仏をすら超えていく気概が表れているのです。
実際、私は僧侶として学びを深め、坐禅を行い、日々の生活を修行として励んで参りました。
ですが、心のどこかで「仏に近づけているのだろうか」と大きな疑問も抱えています。
もがけばもがくほど遠ざかり、「仏とはほど遠い存在」だと自己嫌悪に陥ってしまうこともあります。
ですが、仏とは私の外側にある特別なものではないと説かれています。
むしろ、わたしたち自身が本来持っている命の輝きそのものに気づくことが、結果的に仏だと思うのです。
そしてだからこそ日々の生活をおざなりにしてはいけないとも言えます。
これは人生においても同じ事が言えます。
様々な困難が目の前に立ちはだかり、目の前が真っ暗になることがあるかもしれません。
周りの人と比較して、これで本当の良いのだろうかと焦ってしまい、自信を失うこともあるかもしれません。
しかしだからこそ、梅原さんが言うように、今目の前で行っていることが自分を成長させてくれると信じることが大切なのでしょう。
そして勝つことが全てではなく、時には負ける勇気(本当は負けではない)も必要ではないでしょうか?
言い方を変えれば、他人の評価に振り回されることなく自分の歩幅を大切にすること。
禅語でいえば「主人公」であることが善き生き方へと繋がるのだと私は思います。
今回は梅原さんの勝負論には仏教の教えと近いものを感じて、ご紹介させて頂きました。
ご興味ある方は是非読んでみて下さい。
追伸
住職が玄関口で生け花を定期的に入れ替えています。
今回は葉蘭(はらん)です。
「葉蘭に始まり、葉蘭に終わる」と言われるほど、生け花では基礎から応用と幅広く使用される植物として知られています。
また、相阿彌流(そうあみりゅう)と呼ばれる生け花の流派では室町幕府八代将軍足利義政とゆかりのある植物だそうです。
お寺をお参りの際は是非ご覧ください。
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